何故だったのか4
トルコで日食があった5ヵ月後、僕は上海に住んでいた。
日食を見なかったからこそ、上海に行く機会が出来たとも言える。
人生に転機が幾つかあるとすれば、上海が入ることは間違いない。上海前と上海後に人生を分けることすら出来る。

僕にとっての上海は、何故そのように大きな存在なのか。
上海には、何かが生まれようとするとき、荒削りな勢いがあった。
自ら望み、動けば何であろうと形に出来る。出来の良し悪し問わず、簡単に。
この環境は、成熟した町には存在し難いものだ。

言い換えると、何も無いから基準が無い。面白いもの・やったもの勝ち。
東京のような町は、既にある一定のものがあるがゆえ、無意識にそれを意識してしまうことになるのだ。そしてその意識は歩を鈍らせる・・・。
そんな行き足どフリーな町・上海に僕はひどく馴染んだ。

話は変わるが、東欧の老人が行った言葉に、
「家とは最も思い出がある場所のこと。」というものがある。
僕の実家は引っ越していて、既に実家ではなくなっていた。
この頃から、僕のホームは東京と上海になった。
2009.07.30 Thursday 02:06 | think | - | - |
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