何故だったのか27
上海での数日はいつもと変わらず。
いつもの友達と遊んで、いつもの場所に食べに行く。
羊肉串、新疆拌麺、湯包、虎牌、紅牛・・・

そうこうしている内に疲れが押し寄せた。体調を崩して、ふらふらする頭でいつもの通りを歩いているとき、ふと気付いた。
僕がやっていることは此処に住んでいた頃と変わらない。
上海はめまぐるしく変わっているというのに、僕は昔を懐かしんでいるだけだ。

一つ山を越えて心に穴が開いているときに気付いて、心が痛い。
前へ踏出さない人間。それは泳ぎを止めている鮪に等しい。
・・・とはいえ、簡単に次から次へと目標は見つかるはずも無く。暫くもがき続けることになるだろう。やー、これから大変だ。

26日の朝、番寓路からタクシーに乗った。朝の上海は気持ち良い。
少しガスがかった朝日を受けながら、浦東へ行くのだ。
つい何日か前に太陽神はお隠れになった。あれは間違いなく奇跡だった。コントロール出来ない何かが全て良い方向に作用した、あの経験は何者にも替え難い。
そんな奇跡も、もう昔のことになり始めている。
空港に着いて、チェックインを済ませる。イミグレを抜けて飛行機へ。椅子に体を落ち着けて考えた。
さて、次は何をしよう・・・?まずは睡眠だ、睡眠・・・。

(了)
2009.09.26 Saturday 16:28 | think | - | - |
何故だったのか26
朝目覚めて、粥をうまうま食べていると、テントが片付いていないことを思い出した。
いそいそと片付けて、井戸水でテントを洗う。手伝ってくれた王さんのテクは極上だ。乾かして、畳んで、他にも荷造りをする。そんなこんなでアッという間に出発の時間だ。

KリちゃんやYうちゃん、タマゴに送られて車は港を目指す。
3ヶ月ぶりに会った運転手のおばちゃんは、僕のことを覚えていた。そして「太ったね」と言う。痩せたつもりだけにショックだった!

足りないチケットを買って、船に乗って、その後は皆無言。まどろんでいるうちに上海へ着いた。
ここでMえちゃんとはお別れ。Mえちゃんを皮切りに盛大なバイバイをしたあと、とぼとぼとホテルへ向かった。
上海の空はいつものようにもやがかった曇り空。車道は時間帯のせいか盛大に混雑してクラクションが鳴り響いている。それでも何か考えていた僕には上の空で、関係ないこと。
2009.09.16 Wednesday 22:36 | think | - | - |
何故だったのか25
ハッと起きた。
何時間か寝た。空が薄暗くなっているが、雨はまだ降る。
同室の二人は僕が部屋に戻ってきたときから姿勢が変わっていない。
死んでいるかのように寝ていた。
のそのそ・・・と起きだしてご飯を食べる。完全に惰性。燃え尽きてる。
もそもそ・・・とご飯を食べた後、どうしたものか考えた。

携帯をチャージしなければ!
上海でチャージしたはずが、すぐ使い切ってしまい、「電話が通じない!」と苦情を言われまくっていた。
そうだ、チャージ、行こう!
・・・と思いたって、HキとMエちゃんとで島の中心・菜園に行こうとすると、何故か宿の主人までついてきた。これくらい自分で・・・と思ったけど、ここはおっちゃんの親切を有難く受けた。でもチャージは出来ず・・・。

「フラフラしてから帰るよ!」
とここで主人と別れる。まるで引率の先生だか親を巻いた子供の気分。田舎の町とはいえ夜の街はワクワクするのだ。雑貨屋でオヤツを買って、足を揉まれ爆睡した。その後帰りのタクシーを呼ぶために電話したら、電話を切って10秒でタクシーが来た。

部屋に帰ると、相変わらず2人死んでいる。風邪を引いたらしいので、そっとしておいて、隣の部屋で修学旅行ノリを楽しんだ。どれだけくだらないことを話したか忘れたけど、カッちゃんが凄い目をしていたのは覚えている。
こうして島最後の夜は空が明るくなるまで、語り倒した。何も覚えていないけど。
2009.09.16 Wednesday 00:50 | think | - | - |
何故だったのか24
例えばカフェデルマーから眺める夕日は僕達をこんな気分にさせるだろうか?
金色の黄昏の中で皆、塗り固められてしまったかのようだ。
えも言われぬ、とろけそうでとろけない時間が続く。
我に返りつつあった僕はゴミを拾い始めた。少し経つと、我に返ったかゴミ拾いを手伝ってくれる人がちらほら。

片付けが捗ってきたころ、YやMとお別れするときがきた。この2人はわざわざ2日前の夜、仕事のあとで香港から飛んできた。2泊3日、48時間にも満たない時間中国に居て、そして去っていく。Yは何時かのパンガンto日食。上海で一緒に暮らした本物の好きもんだ。普通なら分かれ難いところだけど、お互いフットワークは軽い。そのうちすぐ会えるはず、そう思って別れた。
太陽は欠けて戻り、パーティは終わり、日食に向けて突き進んだ何かは折り返し地点を過ぎたのだ。

これでパーティは終わる・・・と思いきや、アフターの要求が出て、音を鳴らした。雨が降りそうだったので少しで切り上げたが、それでもアンコールの声が出る。続ける気は無いので音は流さない。雨がいつ振り出すかも解らない雲行きの下、突然来て座り込んでいるだけのヨーロピアンにサービスするほど、僕はサービス精神旺盛じゃない。何より自分自身が疲れていた。
ともかく終わりだ。雨はもう降り出していた。

電子機器や、借りたバッテリーなどどうしても必要なもの以外を放って、家路を急ぐ。まるで日食が終わるまで待っていたかのような雨。そんな雨の中、一人片付けて寝た。ゲストハウスの中は物音一つしない。部屋へ戻ると皆死んだように寝ていた。僕もとにかく寝よう。すぐに意識は落ちた。
2009.09.15 Tuesday 00:46 | think | - | - |
何故だったのか23
急に空が暗くなりはじめ、虫がぱたりと鳴くのを止めた。
妙にひんやりとした風が肌を撫で、波の音は耳に入らない。
太陽へ目を向けてみると、もう、太陽は糸のように細かった。
真空中にいるようで、声が伝わってこない。
世界から自分の周りだけ離れたような不思議な静寂。
ドラゴンボールの神龍が出るとしたらこんな雰囲気なんだろうな、なんてことも仕様の無いことも頭をよぎった。

雲の隙間に太陽を見つめる。雲が疾る。太陽は消えたり、また現れたりしている。天気は夜の土砂降りから回復しても晴れにはならなかった。
見えてくれ!
雲と俺との真剣勝負だ。とにかく太陽を見せろ、と願って見つめて、暫く。
太陽は丸を描いた。

あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!!!!!!!!!

絶叫。
その数秒後、意識が遅れて来た。
あー、俺、絶叫してる。自分のことを、そう思いながら我に返った。
この叫びは、数分の間に想像を絶する出来事に触れたことで出た叫びだ。
日食のメカニズムは学校で習ったし、暗くなる瞬間もビデオで見たことがある。それでも叫ばずに居られなかったのは、日食が僕の想像を越えていたからだ。
空が暗くなり、虫が鎮まり、人も黙る。それら全てを日食が引き起こした。
そんなこと、体感せずに知ることが出来るかい?

数分も立たないうちに、太陽神はお隠れになった。
段々と厚い雲が太陽と僕の間に立ち込める。それと同時に、高ぶっていた心も落ち着く。叫んでいた自分を思い返して、少し恥ずかしくなった。
辺りにはメロウな空気が漂う。
皆座り込んで、何処となく眺めている。永遠に続く黄昏。誰も何もしなければいつまでも、このまま続いていくような黄昏だ。この余韻に浸りたい。
イメージしたものと、実際に体験したものは同じものだったのか解らない。ともかく5年前に目指したものは、目の前で起こった。
2009.09.14 Monday 01:09 | think | - | - |
何故だったのか22
月が太陽と地球の間に入り込む。
ゆっくりと太陽が欠けていく。
何度も何度も空を見上げているが、そんなすぐには変わらないものだ。
はっきりと蝕を確認できる頃には、太陽はもう半分ほどになっていた。
人と交わす言葉も興奮含みだ。太陽は雲に隠れ、雲から出ては刻々と形を変える。三日月のようになった太陽を見て誰かが言った。
「太陽が笑ってる!」
そんな太陽を見て周りが皆、太陽と同じように笑った。

太陽の光が大分弱まった頃、最後の曲をかけてもらった。
最後の曲、わがままを言ってAnnui Dubをかけたかった。でもiPodが見つからなかったんだ。酔っ払っていたからすぐ諦めて、DJに任せた。一晩じゅう音を選び続けてくれたDJ!2人だけで音を守ったんだ。任せても良いだろう。
音が止まり、拍手が鳴った。

そして皆の関心は空に注がれる。
もう太陽は鋭利な刃物のように細い。それに留まることなく刻々と0に向かっているのだ。目が離せない。目を横にやると、皆一様に上を見上げている。寝転んで、日食が終わるまで動かない構えもちらほら見えた。
2009.09.13 Sunday 01:14 | think | - | - |
何故だったのか21
音が鳴る。大地を踏みしめる!
踊って・・・気付いたときにはもう空が明るくなり始めていた。
この時まで、あれやこれやと考え続けていたことから開放されて、無心で踊っていたような。時間が過ぎるのはアッという間だ。
朝が来る。空はどんよりとした曇り。太陽は雲の向こう側だ。

太陽は見えない。朝方にまた小雨が降った。それでも悲壮感は無かった。それさえも楽しめる面子が集まっていたし、その上、前日からのハプニングの数々と、それを乗り越えてきたという事実は「何か起こる」という期待感を持たせるのに十分だった。

相変わらず、見渡す限りは雲だ。しかし風は速い。雲は急流を流れる水のように過ぎていく。少しずつ雲の向こう側が見えてくる。段々と雲が薄くなっているのだ。期待は大きくなる。もう太陽が欠け始める時間だ。雲の向こうで始まっている。フィルターを通して見ると、確かに太陽は欠けている。
もう、すぐそこだ。
2009.09.04 Friday 01:02 | think | - | - |
何故だったのか20
嵐の後の静けさ。
あれほど鳴っていた雷も、雨も止んだ。
30人近くが集まっているのに、やけに静かな中で準備は進む。
梱包を解いて、配線をつなぎ、デコを飾る。
全てがパーティに向けて進んでいるような感じだった。
マイナスドライバーが無かったことなんて何とかなる。

電気が通る。
準備が終わる。
CDを入れてみる。
再生ボタンなんて押してみる。
フェーダー上げる。
おそるおそる。
・・・ドッ。
鳴るキックの音。
静かにスピーカーがリズムを刻み始める。
感無量。DJ、後は任せた。

後を任せてテントを出た。
雨の後のひんやりした風が心地よい。
風の通らないテントの中から外に出て頭を下げてみた。
感謝。

全てはこのためにあったのだ。
やっと音と人と色々は日食へ向け、スピードを上げて走り出した。
2009.09.01 Tuesday 00:52 | think | - | - |
何故だったのか19
一難去ってまた一難。
なんでも砂浜の入り口にいる管理人が中に入れてくれないという。
何回かトライするも、管理人が起きてきて頑なに入れない。

迎えに行って、自分まで戻って来れなくては余計悪くなる。
悶々と待った。
待った。
・・・待ちきれなくなって、迎えに行った。

砂浜を出て、ゲストハウスへ向かう小道。
なんかぞろぞろ向かってくる!20人ぐらいと合流した。
何回か砂浜突入に失敗していて、これがラストチャンスだそうで。

わあ、そりゃあ管理人も起きるわ!・・・な人数が入り口へ進む。
そろり・・・そろり・・・ではなく、ぞろぞろ、がやがや。心臓に悪い!
結果、無事、通過!the party goes on!!
2009.08.31 Monday 00:41 | think | - | - |
何故だったのか18
嵐の中、「やめようか」と五文字、口に出しただけなのに、嫌にはっきり聞こえた気がする。のっぴきならない状況のテントの中で、さらに気持ちが萎みだす。
まずい。そう思ったとき、「やっぱもう少し粘ってみようか。」という一言で、テント内のテンションも少し戻る。
やっぱり皆、諦めたくないのだ。

相変わらず雨風は強い。
近くの岩陰までテントを移動させて風を凌ごうだとか、状況を変えようと話し合う。そんななか、テント裏に岩が沢山落ちていることに誰かが気付いた。
これをペグの上に載せれば・・・!
少し小降りになった雨の中、人力で岩を運ぶ。皆で力を合わせて、20分も運んだだろうか。難破船のようだったテントは、フライをピンと張り、びくともしなくなっていた。テントの中が沸き立つ。雨風も段々と収まりつつあった。

パーティは再びOFFからONへ。一度仕舞った機材を再び出す。机を広げる。アンプとスピーカーを繋げる。電気を通す・・・汗だくになりながら着々と準備を進める。もうパーティを止めたくは無い。組み立てていくと、スピーカーが一つ、宿に置き忘れられていることに気が付いた。しょうがない・・・と思いつつスピーカーを取りに行ってもらうことにした。

宿からテントを張った場所まで、結構距離がある。
5分、10分。気が急いていたお陰で、まだかまだかと待っていた。
そして30分、40分・・・まだ戻ってこない。電話しても相手は出ない。
心配しながら待つと電話が入った。
「浜辺に戻って来れませーん。」
2009.08.21 Friday 01:38 | think | - | - |
何故だったのか17
雨脚強まるなか、テントを組み立てていた皆は中へ避難・・・いやテントの中でも遭難中だった。テントは節々が歪んでいる。聞くと、風がピュッと吹いてテントを吹き飛ばしてしまったという。
砂浜に打ち込んだペグは、幾ら深く打ち込んでも踏ん張ってはくれない。正に砂上の楼閣だ。
僕が一人合流したところで、自然の力に為す術など生まれるはずもなく、皆でテントの壁を握り締め、ひたすら励ましあう。

「がんばれ!」
「風が弱くなってきた!」
「やっぱ嘘、無理!」

自信と弱気の間でみんな揉まれている内に、何だか楽しくなってきた。
ここでテントを保てなかったら風邪決定、機材も濡れて諸々アウト。
テント内の十数人、難破船High。まじで運命共同体。

・・・とは言うものの、雨風は強くなる一方。段々テントも突風に捲られて、段々雨が中に入ってくる。先行き真っ暗な所で、それまで雰囲気を支えていたムードメーカーが口を開く。
「どうする?」

とうとう訊かれた。どうする?って。皆消耗していた。
質問は「もうやめようか?」と訊いていた。
究極の選択。判断する人間は僕しかいない。
少し考えて、「やめようか」と、そう答えた。
金のことより何より、この瞬間が一番苦しかった。
2009.08.19 Wednesday 01:11 | think | - | - |
何故だったのか16
いったん海の家を離れて、準備をする。
許可が下りなかったときは、そのときだ。
パーティはやる。絶対やる。そう決めた。

暫く後、海の家に戻ると老板がいる。
手短に自己紹介を済まして、本題を切り出す。
話を一通り聞いた老板は、眉間に皺を寄せたまま話す。
「パーティをやるのは良いが、安全が保証できないのは・・・」
良い、の後に条件が並ぶ。

僕はパーティがやりたい。
別に危険なことがしたいわけじゃない。条件が付こうが、パーティがやりたい!
老板と僕は話した。しっかり面倒見ることを約束して、思いのほかあっさりと、OKは出た。
テンションがあがるのを感じる。
ゲストハウスへ戻って、設営をする旨宣言する。
そのとき皆は、「おお、やっと始まる!」という反応だったように思う。

機材を浜辺へ持ち出す。GOサインが出たことでステップは軽かった。テントの組立も楽しいもんだった。
屋根が出来たところで、次はバッテリーや電子機器。水濡れできないものを運ぶことにした。バッテリーはクソ重い。2人がかりでやっと持ち上がる重さだ。それを2つ。あんまり重いものを他人に運ばせるのは・・・とも感じたが、空は雲行きが怪しい。急がねばならなかった。

電子機器を取りに行った帰り、不安は突然現実になる。バケツをひっくり返したような、どしゃぶりの雨が一気に降り出した。
ぬらすことの出来ない電子機器を、僕は持っている。雨宿りをしていたが、一行にやむ気配が無い。身動きが取れない中で、バッテリーを運んでいる友達を思い出した。

濡れたら感電するじゃないか!!
海の家を抜けて砂浜に入ったら、後はテントまで屋根は無い。横殴りの風からも、叩きつけるような雨からも、全く逃げ場が無いのだ。その上感電と隣り合わせとは!!一人雨宿りしている場合じゃない、そんなことを思って僕は駆け出した。砂に足をとられつつ懸命に足を動かしテントまでたどり着いた。

これで風雨を凌げる、と安心したのも束の間、そこは難破船だった。
2009.08.12 Wednesday 01:22 | think | - | - |
何故だったのか15
バスの中で既に一人、テンパり始めていた。
何をしなければいけない?
30人もの人をまとめたことなんてない。その上、通じる言葉もばらばらだ!
始めて来たときに気に入った島の風景も、眺めている余裕なんてない。
そんな気持ちだったから気付いたときには、もう高場湾村に着いてしまった。

そこから先、チェックイン、部屋割り、ゴハンの手配、ビーチへの入場料・・・湧いたように出てくる新たな仕事、仕事。
「勝手にしてくれ!」と言う訳にも行かず、かといって背負いきれる訳でもなく。こんなときも当然、会話は全て中国語。集中力は面白いほど削がれていく。
事実上、完全にパンクしていた。何をどうしたなんて、記憶に無い。

気付けば夕方をすっとばして夜。
海に来たのに、砂浜にはまだ一歩も足を踏み入れてない。時間は飛ぶように過ぎる。
投げ遣りそうになった仕事は、横に友達が居たお陰で、何とか片付きそうだ。この元・同居人が居なければ日食の思い出は、全てが嫌なものになっていた。

そして残った大きな仕事がに一つ。
ビーチを管理する老板からの許可。

確認はした「はず」だった。
5月の下見で、タクシーの運転手に訊ねた。
「パーティやるときに許可っているの?」
「小規模なら無許可で没問題!」
そんなやりとりをしたことを思い出した。

責任者に確認をとらなかった自分が甘い。
運転手を呪おうとしかけた・・・が、それに気付いて自分を呪い直した。
海の家に向かい、老板に会いたいと告げる。
老板は不在。電話をかけてもらって話すも、老板はパーティを渋っている。
電話じゃ埒が開かない。直接会って話すしかない。時間は過ぎる。
2009.08.10 Monday 00:42 | think | - | - |
何故だったのか14
港で高速船へ乗換え。
即2階に上がってChill。海風が気持ち良い!
船長がティアドロップのサングラス。万国共通!
着いたらやることが沢山。
島へ着くまで束の間、無邪気に楽しんだ。

Shengsiの李柱山港に着いて人が降り始める。
島へ着くと民宿の王さんが「日食パーティ」と札を持って出迎えてくれるという。5月以来久々に会う王さん。再会を喜び挨拶をしながらチラッと出迎えの札を見ると「利石派対先生」とある。
はて、利石?先生??間違えている!!!
日食は中国語でrishi、利石はlishi。発音が似ているから・・・間違ったとしても、だ。それを差し引いても「利石パーティ先生」の一行を出迎える王さん。
20人の予定で手配したマイクロバスに30人は乗り切らない。バスをでっかいのに替えて高場湾村へ。
この後から僕の記憶は途切れる。
2009.08.09 Sunday 01:47 | think | - | - |
何故だったのか13
続々と友達が上海入り。
上海からベトナムから香港から。気がはやる。
装備と酒を買い込んで、後は寝るだけ・・・のはずが、4時まで起きていた。

翌日、朝7時、南浦大橋。
朝からテンパる。焦ったらいけないのに焦りっぱなしだ。
蝉の音に背中がヒリつく。

南浦大橋に行ったらムチャクチャ人が居た。
約30人。学校じゃん。遠足じゃん!
壮観な眺めにテンションは上がる。

バスに乗るときになって、チケットが足りない。何故?
なんとか帳尻合わせをしてもらって、無事バスに乗車。
遠足を引率していた先生の苦労が今になって解った。
車窓を楽しむ間もなく眠りに落ちた。バスは走る。
気付いたときには芦潮港。
2009.08.07 Friday 01:52 | think | - | - |
何故だったのか12
上海についた次の日、テントを買いに行く。
竜陽路のデカスロンで予め取り寄せた18kgのテントと30kgのを比較したが、30kgという重さのお陰で無条件に18kgのテントをお買い上げ。

竜陽路からの帰り道、南浦大橋から見た夕日がやたら大きかった。
日食が近づくにつれ、太陽や月に対して期待や信頼をするようになってきた。
紅く燃えて沈む太陽は殊更何かを感じさせる。おお、太陽神よ・・・!

川を越えてすぐ、車を降りる。
紅く染まる町は残照に照らされてまだ熱を持っている。
夕日はビルの向こう側にあって、もう幾らもしない内に夜が来るだろう。
セミが鳴いていた。
2009.08.05 Wednesday 01:56 | think | - | - |
何故だったのか11
上海の夏は暑い。
大荷物を抱えていることもあり、タクシーに乗ることにした。
中国に戻ると儀式のように毎回することがある。
タクシーの運転手に話しかけるのだ。
天気の話から始まって色々なことを話す。
こうして中国語の勘を取り戻すのだ。

そうこうしている内にホテルにつく。
これから島への出発まで、やることは多くは残っていない。

だけど、何かと何かの間の、ぽっかり空いた時間に僕は何をしていただろう。
大したことはしていないのに、後から振り返ってもあまり思い出せない。
思うに、何かに少し、緊張していたのかもしれない。
2009.08.04 Tuesday 00:23 | think | - | - |
何故だったのか10
船のチケットだけが心配だった。
他の準備が全て終わっても、これだけは15日前にならないと解らない。
調べてもらった連絡先に香港から東京から上海から電話をかけまくる。
そして15日前・・・さしたる面倒も無くチケット確保。オールクリアー。

あとは早かった。
一瞬で出発の前日だ。
友達に無理を言ってフライヤーまで作ってもらった。
想像を超える出来だ。
パーティは間違いないはずだ。
そう思いながら荷造りに励んだ。

そして出発。
観光にしてはおかしい量の荷物を引いて成田に向かった。
重量オーバーの荷物を2kg、おまけしてもらった。
手作りのアンプは3回、X線を通された。
いざ上海。
機内で僕が見た映画は実写版ドラゴンボール。
2009.08.04 Tuesday 00:09 | think | - | - |
何故だったのか9
場所を見つけた。
宿や島の交通、バッテリーは確保してもらえることになった。

スピーカーも出来上がり、場所も決まった。
もう大きな問題は無い・・・そうなると人間、欲が出るものだ。
スピーカーをもっと大きい物に。
PACEMAKERやiPodじゃなくてCDJを。

浪費万歳。
DJなんてやらない僕の家に、CDJとPAミキサー、カオスパッドが届いた。

あとは船のチケットだけ・・・。
2009.08.03 Monday 01:15 | think | - | - |
何故だったのか8
5月。
ゴールデンウィークに僕は下見をしにShengsiへ向かった。
僕は以前にShengsiへ行ったことが無い。でも僕は場所をここに決めていた。

2007年の年末、僕は静かな場所で年越しをするために場所を探していた。
上海の沖合いにある島・・・名所が一切無い島が良い。そうやって狙いを定めた場所がShengsiだった。
大晦日の昼前、上海南浦大橋に着いたときにはShengsiのバスは既に出発していて、僕は別の島に行った。Shengsiに対して些かの悔しさが残った。

この大晦日の記憶と、島が皆既日食ラインど真ん中という偶然が重なったことで、日食をShengsiで見ることに迷いは無かった。

島に着く。
タクシーに乗って島を周る。
北も南も浜辺を見たが、メインの北は人が多いだろう。
日の出は海の方向から、と考えていた。パンガンの入り江の先から上る朝日が神々しくて、それが焼きついていたのだ。
南の浜辺を歩く。奥へと進むと、切り立った崖のくぼんでいる場所があった。
人家からも離れている。周りを見渡して視界に入る人工物は灯台と、漁をしている漁船だけ。
場所が決まった。
2009.08.03 Monday 00:34 | think | - | - |
何故だったのか7
上海に舵を切った後も、パーティはパーティらしいものでは無かった。
始めに考えたのはiPodとHarman/Kaldonのスピーカー。AC電源で120Wを鳴らしてくれるスピーカーだが、電源を電池に変えて外に持っていくと、どうも物足りない。

どうしたものかと思った矢先、自作のサウンドシステムを作っている人が目に飛び込んできた。電源はカーバッテリー。行ける!この日からむさぼるように、スピーカーやらアンプの自作をやっている人のブログやウェブサイトを読み漁った。

世間は狭いもので、友達に誘ってもらった4月の花見に、前述したサウンドシステムの作者が来るという。その人と会って何か技術的なことを話した訳では無いけれど、どういう訳か「行ける。」という妙な自信が出た。
そんな流れと、秋葉原通いの結果、日食1号は生まれたんだ。

しかし日食1号と2号を作ったあと、僕はすぐに満足出来なくなっていた。
もっと音を、もっと音を・・・日食に音がなければ行けない、なんてルールは無いのだが、僕の中で日食と音は不可分だった。
もっと良いスピーカーで良い音をデカい音を。日食3号4号を作ることにした。
2009.08.02 Sunday 23:48 | think | - | - |
何故だったのか6
日本には日食の間、そこに居たいと思うような場所が無かった。
これは単純にパーティに対して、でもある。
更にもう一つ、その場所へ至るまでの過程や諸々を考えたとき、支払う代償と得られるものを考えたとき、行く価値を見出せるものが無かった、ということでもある。

具体的に言おう。
争奪戦になるチケットを取ろうと必死になり、行った先のパーティで人ごみに紛れて見る日食に何の価値があるだろうか?
僕はそうまでして見る"日本の"日食に価値を見出せなかった。そんな訳で僕は、"上海で仲間と見る日食"に舵を切った。
2009.08.02 Sunday 23:21 | think | - | - |
何故だったのか5
2008年春、上海から東京へ戻った。
それでも人との出会いは加速したし、気付けば日食まで1年を切ろうとしている。この時点で僕はまだ、日本で見ることを考えていた。
「トカラのパーティで。」
使い古されたこの標語に会うパーティはなかなか見つからない・・・

そんな中、僕はあるパーティに誘われて行った。
富士山の麓、朝霧高原である小さなパーティ。
有名なDJも目を奪われるデコも無かったが、
間に1人友達をかませば大抵繋がるパーティは変な気構えが無くて楽だった。

中々見つからない目的地と、偶々知った小さなパーティの心地よさは、
徐々に自分で目的地を作る方向へ舵を切らせた。
2009.07.31 Friday 00:51 | think | - | - |
何故だったのか4
トルコで日食があった5ヵ月後、僕は上海に住んでいた。
日食を見なかったからこそ、上海に行く機会が出来たとも言える。
人生に転機が幾つかあるとすれば、上海が入ることは間違いない。上海前と上海後に人生を分けることすら出来る。

僕にとっての上海は、何故そのように大きな存在なのか。
上海には、何かが生まれようとするとき、荒削りな勢いがあった。
自ら望み、動けば何であろうと形に出来る。出来の良し悪し問わず、簡単に。
この環境は、成熟した町には存在し難いものだ。

言い換えると、何も無いから基準が無い。面白いもの・やったもの勝ち。
東京のような町は、既にある一定のものがあるがゆえ、無意識にそれを意識してしまうことになるのだ。そしてその意識は歩を鈍らせる・・・。
そんな行き足どフリーな町・上海に僕はひどく馴染んだ。

話は変わるが、東欧の老人が行った言葉に、
「家とは最も思い出がある場所のこと。」というものがある。
僕の実家は引っ越していて、既に実家ではなくなっていた。
この頃から、僕のホームは東京と上海になった。
2009.07.30 Thursday 02:06 | think | - | - |
何故だったのか3
2005年はパーティが身近になった。
パンガン、長野、ゴアと行って、パーティで踊る楽しさが解ってきた。

そして2006年。3月にはトルコで皆既日食があった。
05年の秋あたりから勝手に旗を振っていた僕は、どこか舞い上がっていたのかもしれない。
直前で舞台は暗転する。
明るく照らされていれば照らされているほど、照明の落ちた舞台は黒く暗く見える。

留年。
人生、自分で決めた本分を蔑ろにしているとツケが回ってくるものだ。
一番安い値段で獲ったSoulclipseのチケットも売り払った。
無論トルコ行きどころではなく、僕は日食を見ることが出来なかった。
2009.07.29 Wednesday 02:13 | think | - | - |
何故だったのか2
「2009年7月22日に日本で皆既日食が見られるんだって。トカラ列島でパーティがあるらしいよ。」
Mちゃんが言った。
カトマンズへ行く道中だったか、カトマンズでだったか。
日付。日食。場所。パーティ。
聞いた瞬間から忘れることは無かった。
その頃、僕は日食にもパーティにも興味は無かったのにだ。

何年も後に起こる非現実的な現象が、正確な日付と共に語られたことに興奮を覚えたのだろうか。
とにかく、パーティのパの字も知らなかった僕の中の、道の向こうまだ見えぬ位置に日食は座った。

これから後、僕と海外の何処かで会った人は殆ど僕から日食の話を聞いているはずだ。
あのころの僕は「2009年7月22日、トカラで会いましょう。」と繰り返していた。
2009年7月22日にトカラでどんなパーティがあるかなんて知る訳無かった。
僕の知っている情報といえば、Mちゃんから聞いた、ある"らしい"パーティの噂だけだった。
2009.07.29 Wednesday 01:44 | think | - | - |
何故だったのか
ただいま。
日食から戻りました。
あれから1週間が経ち、未だ言葉にならない記憶をどう言葉にすべきか考えているうちに、やはり最初から書いていかなくてはならないような気がしました。
自分でもまとまらない中、随分昔の記憶を掘り起こすのは不安ですが、お付き合い頂きたい。


はじまりは2003年夏、5年前まで遡る。
僕はそのとき雨季のインドに居た。

友達のMと、どういうきっかけだったのかは知らない。多分、僕かMのどちらかが、何気無くかけた言葉の一つが、もう一方に引っかかったんだろう。
春先に飛ばした、輪ゴムのような一言は、夏場にはパスポートとバックパック、そしてバンコク行きの航空券に変わった。

北インドを回ったあと帰国するMと分かれて、僕はカトマンズへ向かった。
バラナシからカトマンズへ向かうにはツーリストバスがある。しかし、乗ったことがある方なら解ると思うが、これがキツい。雨でそこらじゅう土が流れてボコボコになった道。これを余すことなく衝撃に変えて伝える壊れたサスペンション。
僕は電車を乗り逃がし、ツーリストバスに乗って、同じバスに乗り合わせたMちゃんから日食の話を聞いたんだ。
2009.07.29 Wednesday 00:44 | think | - | - |
チベット蜂起50年
1959年3月10日、チベット蜂起から50年。
このときダライ・ラマはチベットを追われました。
チベットに平和の日々が戻りますよう。
中国に穏やかさが生まれますように。



風の馬
雪の下の炎
2009.4.11より公開
2009.03.10 Tuesday 01:41 | think | - | - |
備忘録
「難しくない生など生の名に値しません」

或る友人の恩師の言葉。
2007.06.06 Wednesday 03:47 | think | - | - |
手遅れの前に手を上げる
とんでもない法案が審議されています。
それは「著作権法の非親告罪化」。

「訴えがなければ、処罰できない罪」を親告罪と言います。著作権法が非親告罪化されると「訴えが無くても警察が著作権侵害にだと判断すれば逮捕できる」状態になります。
罪を罰する。これは当然のことであり、異論はありません。ただ、僕が心配なのは「何が罪となるのか」「誰が判断するのか」。現状ではこの判断は著作権者が行っているものですが、非親告罪化された場合に判断するのは警察。著作権の専門家ではない警察が判断して、正確な運用が果たして望めるでしょうか?
この改正はもともとDVDなどの海賊版への対策として検討されているものですが、改正されたあとに取り締まられる範囲がそれ以外の範囲に拡大しない保証は何処にもありません。そして、パーティでDJが出来なくなる・サンプリングすることが出来なくなるといった事態にもなりかねません。

まだ正確な輪郭が見えないものに対して、「〜かねない」という可能性の話ばかりしていますが、事が具体化してからでは遅いのです。是非関心を持って成り行きを見守って下さい。

知的創造サイクル専門調査会 *第八回以降の議事録にて関連の言及有り
著作権罰則の非親告罪化に関する意見書(日弁連)
著作権法(Wikipedia)
2007.06.03 Sunday 21:24 | think | - | - |
マイ戦争観
戦争という行為は惨い。だって人を殺すのだから惨いはずが無いのだ。戦争は無くなった方が良い。しかし、僕は武力の保持は否定しないし、"正しい"戦争も否定しない。じゃあ一体何が正しい戦争なのか?「正しい」ことの基準は人によって捉え方が違うが、僕の考えはこうだ。
戦争は他人を力で押さえつける究極的な行為だ。だから武力の行使は究極的な理由が無くてはいけない。武力の行使が肯定されるとき、それは「やらなきゃやられる」ときだ。言い換えよう、簡単に言い換えれば「ヒトラーが現れたときの為」だ。
ヒトラーは武力によって権力を手中にしたのではない。民衆の支持によってその座に就いた。諸外国が言葉で諌めた後の結果は歴史の通りだ。あれに対しては闘うほか無かった。他のどんな手段であれを止めれたというのだろう。僕は他の手段を思いつかない。力でしかホロコーストは止めようが無かったはずだ。
そのような事態が起こらないようにすれば良い、という話しは意味を持たない。軍隊は(主に)事後に動くためのもので、それに至る確率が物理的にある以上、武力の必要性は無くならない。
かといって戦争を無くそうとしなくて良いのか。僕は正しい戦争を否定しないと言った。裏を返せば正しくない戦争は否定する。すなわち他にまだ手段が残されている中で引き起こされた戦争や、してはいけない(=侵略)戦争を否定する。例としては手段が残されている中で先に攻撃を仕掛け、さらにその後に戦争の正義が失われた、イラク戦争が良い例ではないだろうか。
前述したが、戦争は相手を力で抑える行為である。そのコストを格別慎重に扱った上で一番効率的な方法を採る必要があるのに、それが為されていない。その結果、安易に戦争がおきるのだ。このような戦争の暴発こそ防がなくてはいけない。
どうやって防ぐか。結局は各々が云々・・・ということになるのだけれど、具体的に言うならば、いろいろな角度の意見を受容れる。全てに対して疑問を持ち続ける。自分の意見を持つ。重要なのはこの3つ。
最後に、こういう問題を突っ込んで考えない人が居ることも気になるけれど、問題に対する議論を広く深くしていく可能性を持ったインターネットが全く逆の方向を示していることに、僕は怖ろしさを感じずにはいられない。
2007.02.08 Thursday 13:50 | think | - | - |
春に遥々春を待つ
長く暗い冬のトンネルもあと少し。そろそろ光が先に見えてきた。
トンネルを抜けた先には広い、
どれだけ行っても行き止まることの無い広い広い野原があるはずだ。
そこを自由に走る。満ち足りるまで縦横無尽に走り回る。
簡単には満足しない。一年春を待ったんだ。
簡単に倒れはしない。一年春を待ったんだ。

暗暗长长的隧道快穿行完了,
渐渐光明看起见来。
外面肯定有广泛的,
不论多么跑来跑去不到尽头的野地。
我随意跑。我纵横跑。
我不容易满足。等一年春天来。
我不容易被倒。等一年春天来。
2007.02.03 Saturday 16:11 | think | - | - |
前へ向けてちょい後ろ向き
最近歳のせいなのか、何かにつけてすぐ泣きそうになる。何気なく話しているときなんかにも、突然こみ上げてきたりして、自分でもエッ?と思う。

「回送中のバス、左折時に小3ひき死なす」というニュースがあった。(残念ながら)ありふれてしまっているニュースだけど、なぜか泣きそうになった。

もうひとつ、台湾の地震。
今はまた新しい情報が入っているのかもしれないけれど、情報が少ない。昨日聞いたところだと2人無くなっただけだそうだ。
情報を聞いたとき、こう思ってしまったんだ。
「亡くなったのが2人だけで良かった。」
2人"だけ"?
まだその2人が誰なのか解らないのに、自分の身内が含まれていないと決め付けた上での言葉なのだろうか。気持ちの整理が付いていないから、それがどういう感情から来た言葉なのかも解らないし、そう思ってしまったことに違和感を感じる。もし、身内が入っていたらこんな物言いは出来るわけが無いさ。
他人に降りかかった事を「自分ではない」と安堵しているのかもしれないし、また、そう思い込むことで安堵したいのかもしれない。

自分の身に降りかかった悲劇と、他人の身に降りかかった悲劇は別物で、同一視はできない。残念ながら僕にとって他人事は、結局他人事だ。

自分ひとりで世の中全てを見守ることなんてできない。遠い場所にいる、見知らぬこの子供を事故から救うことなんてできない。でも、想うことぐらい良いだろう?

「悲しみがなくなりますように。」

まだまだ悲しいことは世の中から無くならない。
もしかしたらそれは絶対無くならないのかもしれない。けれど「無くなる」と思わなければ、それは絶対に消えはしない。可能性すら無くなる。
悲しいことだけじゃない。夢、希望だってそうだ。信じなければ絶対に叶わない。

将来に不安を感じない瞬間なんてほとんど無いけれど、この一年何度も転んで、立ち上がって。上海に来て、今は根拠の無い可能性が見えてる。
僕はそれを信じたい。

この一年も有難う。
皆様へ。
2006.12.30 Saturday 00:41 | think | - | - |
暫くの間、壁が見えなくなっていた。
しかしそんなことは一時の出来事で、気付けば壁はすぐ目の前だった。

壁を乗り越えたと思っていたら
昨日越えたはずの壁が前に、再び立ちはだかる。

壁に当たるのは辛い話だ。
越えたと思っていても、次には更に高い壁となって「越えろ」と言う。
辛い。

しかし
新しい壁は、古い壁を乗り越えたからこそ現れる。
古い壁を乗り越えてここまでやってきたからこそ、はじめて気付いた問題なのだ。
壁は己の身丈に沿って一歩先を行く、自分自身なのかもしれない。

壁があるということは
まだ先がある。
壁を乗り越えた先には
一つ先の自分がある。

だから、お前は壁の存在を喜べ
2006.11.15 Wednesday 09:55 | think | - | - |
僕が遠くへ行く理由
旅は、単なる長い散歩のようなもの。
距離の違いだけで、あとは大した違いが無いのではないか?

「感度」
大した違いが無いのに僕が海外へ行く理由は、感じる物事が解りやすいくらいにnewだから。言い換えれば、「刺激を受けるものに、触れられる」ということ。
これは、近所を散歩してもnewに触れることが出来ない、といっているのではなくて、全く逆。近所を散歩して新鮮な驚きを感じることは多々ある。ただ、近所を散歩するときは「日ごろ見慣れているもの」がカモフラージュしてnewに気付きにくくしている。それでもnewに気付く人は気付いて、近所の散歩で毎日新鮮な驚きを得ている。その逆もまた然りで、newに気付かない人はどこに行ってもそれが見つからないだろう。

「僕」
僕は残念ながら、近所に隠れているnewを簡単に発見できるような人間ではないので、解りやすくnewを感じられる場所に行くのです。

「消化能力」
newを多く感じるのは良いけれど、それだけではいけない。
newというinputを自分に取り込んで、己の表現というoutputを作り出すために消化をしなくてはいけない。
食べ物が飲みこまれ、消化され、肉となるように。
心で感じる物(=new)が食べ物と違う点は一つ。食べ物は自分の消化能力を超えると消化不良を起こすが、感じる物の消化は自分次第でどれだけでも消化できる。掘り下げようという意思を持つことで可能となる。

つまりは・・・
解りやすいか、解りにくいかの差はあっても、どちらにもnewは存在していて、気付く人は気付く。そのinputを有効とするのは自分次第。
海外へ行けばどうにかなる、ということは無いけれど、どうにかすることは自分次第で出来る。

やります。
大きくなって帰ります。
2006.09.11 Monday 05:28 | think | - | - |
機を見るにquicklyである為に
心の中が散らかっていては落ち着かない。冷静に物事が考えられない。
それは散らかった部屋で過ごすのと同じようなものだ。
部屋を掃除するように、心の中も日頃から片付けなければいけないということ。
心の中を空けておかないと、チャンスが巡ってきても捉えることができないということ。

しかし部屋の大掃除のようにいかない心の掃除。日頃からやらなければ片付け上手にはなれない。「溜めて→こなす」を繰り返していたら、いつの間にか仕事をこなすことだけが目的になり、その先にあるものが霞んだ。それじゃあ俺は、そこまで止まりだ。先の先、そう短距離走者がゴールの後ろを見据えラインの先まで決して力を緩めず走るが如く行かねば、チャンスを掴むこともできないし、掴んだとしても叶う訳が無い。

阿!と一気にとまでは行かないけれど、今は、絡まったものを解くように少しずつ、解らなかったものが解り、見えないものが見える。
今頃になってやっと・・・ありがとう、少し解りました。
2006.05.24 Wednesday 22:53 | think | - | - |
ポッチャリ論
昨日友人とケンタッキーで鶏をがっついていたとき、背後には胸に脂肪塊を持った女性がいました。
友人曰く、「後ろみてみ?超巨乳いるよー。」
と言われ振り返ると僕の背後にはデブ。あのな、それは巨乳って言わねーんだ!ただのデブじゃねえか!!そもそもこいつ、胸周りの肉を寄せて→あげるだけじゃ足らずに腹から持ってきている可能性もある。
僕「ちげぇよ!ただのデブじゃんよ!!」
友人「えー、ポッチャリじゃない?」

ポッチャリの定義って何だよ?!
そこで議論に。
「ポッチャリって何だ」
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2006.04.16 Sunday 23:11 | think | - | trackbacks (0) |
THANK YOU and YOU.
僕は僕で
君は君。

人と人の
人生が交錯するのは偶然としか言いようがありません。

良い位置で来年も。
ありがとう。
2005.12.30 Friday 18:59 | think | - | trackbacks (0) |
心の波
人が嫌いな時期に入ってきた。
常に、という訳ではないけれど、まぁそんな時期が定期的に来る。
かといって、人を好きにならないかといえばそうでも無い。
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2005.10.12 Wednesday 00:58 | think | - | trackbacks (0) |
終わらせる為に此処にいるのか
いつになっても答えが出ない疑問。
生きている意味は目標は何?という疑問が久々に湧いて出た。

僕は笑って死ぬ為に生きている。
人生苦しいことが有ったって、最後にプラスで終えることができたらいい。
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2005.09.03 Saturday 03:58 | think | - | trackbacks (0) |
解散総選挙
もう首相になって長い小泉氏、ひょっとしたら今までで一番ガチなんじゃなかろうか。それほどにまで殺(ヤ)る気がビシビシ伝わってくる今回の郵政民営化法案。

予想通り参議院否決→解散総選挙と相成りましたが、何で民営化に反対なんすかね?
国が借金塗れで、削れるとこは削っていかないとダメな時期に来てるのに、この期に及んで行政サービスだの何だのいうのはナンセンスでしょう。

「民営化反対の候補者は公認しない」と小泉氏が発言したことで分裂気味の自民党が割れるのか。民主党は政権交代を実現させるのか。
キーワードはシンプルに「郵政民営化 or not」。
楽しめる選挙になりそうです。
2005.08.09 Tuesday 01:43 | think | - | - |
After iPod
アップル、iPod在庫過剰との報道で株価下落(日本経済新聞)

ウォークマンの後をiPodがついだように、iPodの後はどうなるのか?といったことを考えていたら、ちょうどこんな記事があった。
iPodの次は以外と早く来るのかもしれない。
続きを読む>>
2005.06.07 Tuesday 04:31 | think | - | - |
歪み
106人が亡くなったJR福知山線の事故。
マスコミが被害者面して怒号を飛ばしたり、昼間のゴシップキングが真面目くさった顔して奥さんに非難を呼びかける。
亡くなった方には心からの黙祷を捧げたいが、世間の代表者気取りのマスコミが見せるダンスはもう見飽きた。
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2005.05.21 Saturday 05:01 | think | - | - |
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