何故だったのか19
一難去ってまた一難。
なんでも砂浜の入り口にいる管理人が中に入れてくれないという。
何回かトライするも、管理人が起きてきて頑なに入れない。

迎えに行って、自分まで戻って来れなくては余計悪くなる。
悶々と待った。
待った。
・・・待ちきれなくなって、迎えに行った。

砂浜を出て、ゲストハウスへ向かう小道。
なんかぞろぞろ向かってくる!20人ぐらいと合流した。
何回か砂浜突入に失敗していて、これがラストチャンスだそうで。

わあ、そりゃあ管理人も起きるわ!・・・な人数が入り口へ進む。
そろり・・・そろり・・・ではなく、ぞろぞろ、がやがや。心臓に悪い!
結果、無事、通過!the party goes on!!
2009.08.31 Monday 00:41 | think | - | - |
何故だったのか18
嵐の中、「やめようか」と五文字、口に出しただけなのに、嫌にはっきり聞こえた気がする。のっぴきならない状況のテントの中で、さらに気持ちが萎みだす。
まずい。そう思ったとき、「やっぱもう少し粘ってみようか。」という一言で、テント内のテンションも少し戻る。
やっぱり皆、諦めたくないのだ。

相変わらず雨風は強い。
近くの岩陰までテントを移動させて風を凌ごうだとか、状況を変えようと話し合う。そんななか、テント裏に岩が沢山落ちていることに誰かが気付いた。
これをペグの上に載せれば・・・!
少し小降りになった雨の中、人力で岩を運ぶ。皆で力を合わせて、20分も運んだだろうか。難破船のようだったテントは、フライをピンと張り、びくともしなくなっていた。テントの中が沸き立つ。雨風も段々と収まりつつあった。

パーティは再びOFFからONへ。一度仕舞った機材を再び出す。机を広げる。アンプとスピーカーを繋げる。電気を通す・・・汗だくになりながら着々と準備を進める。もうパーティを止めたくは無い。組み立てていくと、スピーカーが一つ、宿に置き忘れられていることに気が付いた。しょうがない・・・と思いつつスピーカーを取りに行ってもらうことにした。

宿からテントを張った場所まで、結構距離がある。
5分、10分。気が急いていたお陰で、まだかまだかと待っていた。
そして30分、40分・・・まだ戻ってこない。電話しても相手は出ない。
心配しながら待つと電話が入った。
「浜辺に戻って来れませーん。」
2009.08.21 Friday 01:38 | think | - | - |
何故だったのか17
雨脚強まるなか、テントを組み立てていた皆は中へ避難・・・いやテントの中でも遭難中だった。テントは節々が歪んでいる。聞くと、風がピュッと吹いてテントを吹き飛ばしてしまったという。
砂浜に打ち込んだペグは、幾ら深く打ち込んでも踏ん張ってはくれない。正に砂上の楼閣だ。
僕が一人合流したところで、自然の力に為す術など生まれるはずもなく、皆でテントの壁を握り締め、ひたすら励ましあう。

「がんばれ!」
「風が弱くなってきた!」
「やっぱ嘘、無理!」

自信と弱気の間でみんな揉まれている内に、何だか楽しくなってきた。
ここでテントを保てなかったら風邪決定、機材も濡れて諸々アウト。
テント内の十数人、難破船High。まじで運命共同体。

・・・とは言うものの、雨風は強くなる一方。段々テントも突風に捲られて、段々雨が中に入ってくる。先行き真っ暗な所で、それまで雰囲気を支えていたムードメーカーが口を開く。
「どうする?」

とうとう訊かれた。どうする?って。皆消耗していた。
質問は「もうやめようか?」と訊いていた。
究極の選択。判断する人間は僕しかいない。
少し考えて、「やめようか」と、そう答えた。
金のことより何より、この瞬間が一番苦しかった。
2009.08.19 Wednesday 01:11 | think | - | - |
何故だったのか16
いったん海の家を離れて、準備をする。
許可が下りなかったときは、そのときだ。
パーティはやる。絶対やる。そう決めた。

暫く後、海の家に戻ると老板がいる。
手短に自己紹介を済まして、本題を切り出す。
話を一通り聞いた老板は、眉間に皺を寄せたまま話す。
「パーティをやるのは良いが、安全が保証できないのは・・・」
良い、の後に条件が並ぶ。

僕はパーティがやりたい。
別に危険なことがしたいわけじゃない。条件が付こうが、パーティがやりたい!
老板と僕は話した。しっかり面倒見ることを約束して、思いのほかあっさりと、OKは出た。
テンションがあがるのを感じる。
ゲストハウスへ戻って、設営をする旨宣言する。
そのとき皆は、「おお、やっと始まる!」という反応だったように思う。

機材を浜辺へ持ち出す。GOサインが出たことでステップは軽かった。テントの組立も楽しいもんだった。
屋根が出来たところで、次はバッテリーや電子機器。水濡れできないものを運ぶことにした。バッテリーはクソ重い。2人がかりでやっと持ち上がる重さだ。それを2つ。あんまり重いものを他人に運ばせるのは・・・とも感じたが、空は雲行きが怪しい。急がねばならなかった。

電子機器を取りに行った帰り、不安は突然現実になる。バケツをひっくり返したような、どしゃぶりの雨が一気に降り出した。
ぬらすことの出来ない電子機器を、僕は持っている。雨宿りをしていたが、一行にやむ気配が無い。身動きが取れない中で、バッテリーを運んでいる友達を思い出した。

濡れたら感電するじゃないか!!
海の家を抜けて砂浜に入ったら、後はテントまで屋根は無い。横殴りの風からも、叩きつけるような雨からも、全く逃げ場が無いのだ。その上感電と隣り合わせとは!!一人雨宿りしている場合じゃない、そんなことを思って僕は駆け出した。砂に足をとられつつ懸命に足を動かしテントまでたどり着いた。

これで風雨を凌げる、と安心したのも束の間、そこは難破船だった。
2009.08.12 Wednesday 01:22 | think | - | - |
何故だったのか15
バスの中で既に一人、テンパり始めていた。
何をしなければいけない?
30人もの人をまとめたことなんてない。その上、通じる言葉もばらばらだ!
始めて来たときに気に入った島の風景も、眺めている余裕なんてない。
そんな気持ちだったから気付いたときには、もう高場湾村に着いてしまった。

そこから先、チェックイン、部屋割り、ゴハンの手配、ビーチへの入場料・・・湧いたように出てくる新たな仕事、仕事。
「勝手にしてくれ!」と言う訳にも行かず、かといって背負いきれる訳でもなく。こんなときも当然、会話は全て中国語。集中力は面白いほど削がれていく。
事実上、完全にパンクしていた。何をどうしたなんて、記憶に無い。

気付けば夕方をすっとばして夜。
海に来たのに、砂浜にはまだ一歩も足を踏み入れてない。時間は飛ぶように過ぎる。
投げ遣りそうになった仕事は、横に友達が居たお陰で、何とか片付きそうだ。この元・同居人が居なければ日食の思い出は、全てが嫌なものになっていた。

そして残った大きな仕事がに一つ。
ビーチを管理する老板からの許可。

確認はした「はず」だった。
5月の下見で、タクシーの運転手に訊ねた。
「パーティやるときに許可っているの?」
「小規模なら無許可で没問題!」
そんなやりとりをしたことを思い出した。

責任者に確認をとらなかった自分が甘い。
運転手を呪おうとしかけた・・・が、それに気付いて自分を呪い直した。
海の家に向かい、老板に会いたいと告げる。
老板は不在。電話をかけてもらって話すも、老板はパーティを渋っている。
電話じゃ埒が開かない。直接会って話すしかない。時間は過ぎる。
2009.08.10 Monday 00:42 | think | - | - |
何故だったのか14
港で高速船へ乗換え。
即2階に上がってChill。海風が気持ち良い!
船長がティアドロップのサングラス。万国共通!
着いたらやることが沢山。
島へ着くまで束の間、無邪気に楽しんだ。

Shengsiの李柱山港に着いて人が降り始める。
島へ着くと民宿の王さんが「日食パーティ」と札を持って出迎えてくれるという。5月以来久々に会う王さん。再会を喜び挨拶をしながらチラッと出迎えの札を見ると「利石派対先生」とある。
はて、利石?先生??間違えている!!!
日食は中国語でrishi、利石はlishi。発音が似ているから・・・間違ったとしても、だ。それを差し引いても「利石パーティ先生」の一行を出迎える王さん。
20人の予定で手配したマイクロバスに30人は乗り切らない。バスをでっかいのに替えて高場湾村へ。
この後から僕の記憶は途切れる。
2009.08.09 Sunday 01:47 | think | - | - |
何故だったのか13
続々と友達が上海入り。
上海からベトナムから香港から。気がはやる。
装備と酒を買い込んで、後は寝るだけ・・・のはずが、4時まで起きていた。

翌日、朝7時、南浦大橋。
朝からテンパる。焦ったらいけないのに焦りっぱなしだ。
蝉の音に背中がヒリつく。

南浦大橋に行ったらムチャクチャ人が居た。
約30人。学校じゃん。遠足じゃん!
壮観な眺めにテンションは上がる。

バスに乗るときになって、チケットが足りない。何故?
なんとか帳尻合わせをしてもらって、無事バスに乗車。
遠足を引率していた先生の苦労が今になって解った。
車窓を楽しむ間もなく眠りに落ちた。バスは走る。
気付いたときには芦潮港。
2009.08.07 Friday 01:52 | think | - | - |
何故だったのか12
上海についた次の日、テントを買いに行く。
竜陽路のデカスロンで予め取り寄せた18kgのテントと30kgのを比較したが、30kgという重さのお陰で無条件に18kgのテントをお買い上げ。

竜陽路からの帰り道、南浦大橋から見た夕日がやたら大きかった。
日食が近づくにつれ、太陽や月に対して期待や信頼をするようになってきた。
紅く燃えて沈む太陽は殊更何かを感じさせる。おお、太陽神よ・・・!

川を越えてすぐ、車を降りる。
紅く染まる町は残照に照らされてまだ熱を持っている。
夕日はビルの向こう側にあって、もう幾らもしない内に夜が来るだろう。
セミが鳴いていた。
2009.08.05 Wednesday 01:56 | think | - | - |
何故だったのか11
上海の夏は暑い。
大荷物を抱えていることもあり、タクシーに乗ることにした。
中国に戻ると儀式のように毎回することがある。
タクシーの運転手に話しかけるのだ。
天気の話から始まって色々なことを話す。
こうして中国語の勘を取り戻すのだ。

そうこうしている内にホテルにつく。
これから島への出発まで、やることは多くは残っていない。

だけど、何かと何かの間の、ぽっかり空いた時間に僕は何をしていただろう。
大したことはしていないのに、後から振り返ってもあまり思い出せない。
思うに、何かに少し、緊張していたのかもしれない。
2009.08.04 Tuesday 00:23 | think | - | - |
何故だったのか10
船のチケットだけが心配だった。
他の準備が全て終わっても、これだけは15日前にならないと解らない。
調べてもらった連絡先に香港から東京から上海から電話をかけまくる。
そして15日前・・・さしたる面倒も無くチケット確保。オールクリアー。

あとは早かった。
一瞬で出発の前日だ。
友達に無理を言ってフライヤーまで作ってもらった。
想像を超える出来だ。
パーティは間違いないはずだ。
そう思いながら荷造りに励んだ。

そして出発。
観光にしてはおかしい量の荷物を引いて成田に向かった。
重量オーバーの荷物を2kg、おまけしてもらった。
手作りのアンプは3回、X線を通された。
いざ上海。
機内で僕が見た映画は実写版ドラゴンボール。
2009.08.04 Tuesday 00:09 | think | - | - |
何故だったのか9
場所を見つけた。
宿や島の交通、バッテリーは確保してもらえることになった。

スピーカーも出来上がり、場所も決まった。
もう大きな問題は無い・・・そうなると人間、欲が出るものだ。
スピーカーをもっと大きい物に。
PACEMAKERやiPodじゃなくてCDJを。

浪費万歳。
DJなんてやらない僕の家に、CDJとPAミキサー、カオスパッドが届いた。

あとは船のチケットだけ・・・。
2009.08.03 Monday 01:15 | think | - | - |
何故だったのか8
5月。
ゴールデンウィークに僕は下見をしにShengsiへ向かった。
僕は以前にShengsiへ行ったことが無い。でも僕は場所をここに決めていた。

2007年の年末、僕は静かな場所で年越しをするために場所を探していた。
上海の沖合いにある島・・・名所が一切無い島が良い。そうやって狙いを定めた場所がShengsiだった。
大晦日の昼前、上海南浦大橋に着いたときにはShengsiのバスは既に出発していて、僕は別の島に行った。Shengsiに対して些かの悔しさが残った。

この大晦日の記憶と、島が皆既日食ラインど真ん中という偶然が重なったことで、日食をShengsiで見ることに迷いは無かった。

島に着く。
タクシーに乗って島を周る。
北も南も浜辺を見たが、メインの北は人が多いだろう。
日の出は海の方向から、と考えていた。パンガンの入り江の先から上る朝日が神々しくて、それが焼きついていたのだ。
南の浜辺を歩く。奥へと進むと、切り立った崖のくぼんでいる場所があった。
人家からも離れている。周りを見渡して視界に入る人工物は灯台と、漁をしている漁船だけ。
場所が決まった。
2009.08.03 Monday 00:34 | think | - | - |
何故だったのか7
上海に舵を切った後も、パーティはパーティらしいものでは無かった。
始めに考えたのはiPodとHarman/Kaldonのスピーカー。AC電源で120Wを鳴らしてくれるスピーカーだが、電源を電池に変えて外に持っていくと、どうも物足りない。

どうしたものかと思った矢先、自作のサウンドシステムを作っている人が目に飛び込んできた。電源はカーバッテリー。行ける!この日からむさぼるように、スピーカーやらアンプの自作をやっている人のブログやウェブサイトを読み漁った。

世間は狭いもので、友達に誘ってもらった4月の花見に、前述したサウンドシステムの作者が来るという。その人と会って何か技術的なことを話した訳では無いけれど、どういう訳か「行ける。」という妙な自信が出た。
そんな流れと、秋葉原通いの結果、日食1号は生まれたんだ。

しかし日食1号と2号を作ったあと、僕はすぐに満足出来なくなっていた。
もっと音を、もっと音を・・・日食に音がなければ行けない、なんてルールは無いのだが、僕の中で日食と音は不可分だった。
もっと良いスピーカーで良い音をデカい音を。日食3号4号を作ることにした。
2009.08.02 Sunday 23:48 | think | - | - |
何故だったのか6
日本には日食の間、そこに居たいと思うような場所が無かった。
これは単純にパーティに対して、でもある。
更にもう一つ、その場所へ至るまでの過程や諸々を考えたとき、支払う代償と得られるものを考えたとき、行く価値を見出せるものが無かった、ということでもある。

具体的に言おう。
争奪戦になるチケットを取ろうと必死になり、行った先のパーティで人ごみに紛れて見る日食に何の価値があるだろうか?
僕はそうまでして見る"日本の"日食に価値を見出せなかった。そんな訳で僕は、"上海で仲間と見る日食"に舵を切った。
2009.08.02 Sunday 23:21 | think | - | - |
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